『ひと日記~このひとに会いたい』中西和久 著(海鳥社) 書評 
原田 博治 リベラシオン2017年秋号(福岡県人権研究所発行)より


本書はKBC九州朝日放送の人権啓発ラジオ番組「中西和久ひと日記」(福岡県提供)の対談を収録したものである。この番組は、一九九七年にスタート、放送開始二〇年を記念して本書がまとめられた。

番組では、「人権」をテーマに中西さんが福岡県内などで活躍する個人や団体の人たちを訪ねたり、スタジオに招いたりして対談している。取り上げた人権課題は、同和問題、在日外国人、障がい者、貧困、ホームレス、ハンセン病、水俣病、沖縄差別などと幅広く、人権啓発番組としては全国でもまれな長寿番組となっている。

中西さんは福岡県大牟田市生まれの俳優。ひとり芝居で知られる。小沢昭一さんが主宰していた劇団「芸能座」で修業した。ここで演劇の基本を学びつつ、差別された人々と向き合う役者魂を培っていった。初舞台は一九七七年の「浅草キヨシ伝」(作・井上ひさし、演出・小沢昭一)。一九八六年からは最初のひとり芝居「火の玉のはなし」(原作・組坂繁之)で全国各地を回った。この芝居は、弱い立場の人間がさらに弱い者を痛めつけるという差別の重層構造を描いている。

その後、ライフワークとなるひとり芝居「しのだづま考」(脚本、演出・ふじたあさや)を上演し、中世の民話を源流とする説経節を現代のひとり芝居としてよみがえらせた。その演技が評価され、一九九一年度文化庁芸術祭賞を受賞。さらに国際交流基金主催公演として韓国主要都市を巡演し、東欧二カ国の国際演劇祭にも招待参加した。以後、数々の演劇賞を受賞し、二〇〇八年にはロシア・エカテリンブルグ国際演劇祭特別賞に輝いている。

こうした国内外の活躍がたたえられ、福岡県文化賞、大牟田市制功労者表彰、春日市民文化賞なども受賞している。

本書の内容は、「命の闘い」「生と死をみつめる」「表現し伝えること」の三つの章で構成されている。

収録された対談相手は、石牟礼道子(作家)、五木寛之(作家)、伊藤比呂美(詩人)、井上洋子(国文学研究者・福岡県人権啓発情報センター館長)、西表宏(福岡沖縄県人会長)、上野朱(古書店主)、太田明(菊池恵楓園自治会)、岡本次男(元葬儀社経営)、奥田知志(牧師)、小沢昭一(俳優)、鎌田慧(ルポライター)、君原健二(マラソン選手)、金聖玉(韓国文化伝承者)、組坂繁之(部落解放同盟中央本部執行委員長)、妹尾河童(舞台美術家)、中山千夏(市民運動家、作家)、林力(教育者・ハンセン病家族補償原告団長)、ふじたあさや(劇作家・演出家)、船越哲朗(障がい者就労支援事業所代表)、山口美智子(薬害肝炎全国原告団代表)の各氏(五十音順)。実に多彩な顔ぶれである。

この対談番組は一回の放送時間が五分間で、ゲスト一人分が月~金曜日の五回、合計二十五分間と短い。こうした時間制約の中で、それぞれのテーマをいかに掘り下げるかが腕の見せどころとなったはずだ。主なやり取りを紹介しよう。

同和教育の草分けの一人である林さん。若いころから同和教育に関わってきたが、自分の父親がハンセン病患者であったことはなかなか公にできず、五十歳になるころ初めて明らかにした。その時、すでに父親は亡くなっていた。公表後の反応について林さんは「私の耳には社会の反応は聞こえなかった。驚きながら黙殺でした」と振り返る。

「ハンセン病という病気そのものについても、国が何をしたかということについても、日本の教育はまったく触れていない。だからずっと風評ばかりが伝わって予断と偏見がどこかにある」。林さんのこの言葉は重みがある。

組坂さんとの対談では、こんな言葉を引き出している。「部落解放運動というのは大きな意味でいうと文化運動です。人間の創り出した『差別』という文化を、『人権』を大切にする文化に変革していく運動です」

中西さんの代表作となった「しのだづま考」は、民話の「狐女房」という異類婚姻譚に、陰陽師の安倍晴明伝説が結びついた物語である。脚本・演出を担当したふじたさんは「安倍晴明に託して、苦しい状態から、差別された状態からの解放を願っているという、それがありありと後付けられるようなお話ですよね」と語っている。

気になるのはこの芝居についての中西さんのコメントだ。「このお芝居が生まれてからもう四半世紀。でもねえ、部落問題をテーマにしているからでしょうか、これまでに、いや今でも、放送ではご紹介できないような酷い差別発言を頂いたりします」。ここにも部落差別の根深さを垣間見る思いがする。

北九州でホームレス支援活動を続けるNPO法人抱樸の理事長でもある奥田さんは、日本の生活保護制度の現状を「生存保護制度」に過ぎないとみる。その「生存」を「人の暮らし」に引き上げるためには、公助の活用とともにボランティア団体を含む地域の「共助」が必要と説く。

師匠の小沢さんは二〇一二年暮れに亡くなったが、放送ではその五年ほど前の録音を流した。この中で、小沢さんは放浪芸を調べる旅の途中、山口県光市の猿まわしと出会ったことを振り返る。昭和の初めごろまで盛んだった猿まわしが賤民芸能と白眼視され、いつしか姿を消していた。復活のきっかけをつくった小沢さんは「素晴らしい民俗芸能であるところの猿まわしが、一人の市会議員さんが議員を辞めて、自分がやるという決意で復活したんだよ。(略)本当にうれしかった」と喜んだ。

また、小沢さんは「何が最高の人権を守ることかというと、やっぱり戦争をしないことだと思う」と語る。「戦争というのは、なってからではもう遅いのよ。なりそうな気配が出そうなときに、なんとかそれをつぶさないとダメなんで、今はどうもそのときのような気が。とってもヒタヒタと迫ってくるんだけどね」。十年前のこの言葉を今あらためてかみしめたい。

本書は二〇〇一年五月から二〇一六年八月に放送されたものに加筆して編集した。今日のさまざまな人権課題をバランスよく配置し、どこから読んでも興味深い対談集に仕上がっている。