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二条の大納言の世継ぎ・小栗は文武両道に秀でるが、いまだ定まる妻もなく、深泥池(みぞろがいけ)の大蛇と契ったことで都から常陸(ひたち)の國へ追放される。しかしそこでも、相模の豪族横山家の娘・照手姫のもとへ押し入り婿となる。ところが、義父の怒りをかった小栗は毒殺され、照手も相模川に流されてしまう。一命を取りとめたものの、照手は人買いの手にかかり、美濃(みの)青墓(おおはか)の遊女屋で水仕女として苦役を強いられることとなった。
一方の小栗は地獄の閻魔の慈悲で生き返ったが、見るも無惨に腐り果てた「餓鬼(がき)」の姿となり、土車に乗せられて相模から熊野湯の峰へ心ある衆生に曳かれていく。青墓の宿でこの土車を見かけた照手は、それが吾が夫とも知らず、曳き綱にすがりつくのだった。
「えいさらさ えいさらさ・・・」照手は、遊女屋の主人に五日の暇をもらい大津の宿まで土車を曳き、後ろ髪を引かれる思いで再び青墓へと帰っていく。やがて熊野湯の峰にたどり着いた餓鬼(がき)阿弥(あみ)は薬湯の力で病本復し、元の小栗となって都へ上る。美濃青墓の照手のもとを訪れたのは、それからまもなくのことだった・・・。 |
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中世ラブロマンスの傑作「をぐり」は人形浄瑠璃や各地の郷土芸能などに伝えられ、また近年は音楽劇、スーパー歌舞伎、舞踏、オペラなど幅広いジャンルで繰り返し上演されている。本作は、説経節の中でその壮大なスケールと物語性で群を抜く「小栗判官」を現代の演劇へと蘇らせた、ふじた・中西コンビの説経節シリーズ極め付け。絶世の美男美女、小栗と照手の数奇な運命を詩情豊かな音楽にのせて描く至高の愛の物語。
〈初演〉 1999年5月2日 和歌山・熊野本宮大社旧社地・大斎原 |
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「ものに狂うてみしょうぞ」 ふじた あさや
説経節は、中世の民衆が生み出した口承文芸である。瞽女(ごぜ)唄や歌舞伎など、数々の芸能の源泉になり今また中西和久によって、現代のひとり芝居として蘇った。中西説経節シリーズは、「しのだづま考」「山椒大夫考」と二作つくり、これが三作目でもある。もう一作つくるとすれば「をぐり」だろうな、と数年前から話し合っていた。
冥途まで舞台にする天衣無縫さが気に入ったからだが、「をぐり」の最大の魅力は、女主人公・照手の人間像にある。女は自分の意志を持つことさえ許されなかった時代に、自らの意志で運命を選びとり、小栗への愛を貫いた照手は、充分に現代のヒロインたりうる。その瞬間、照手のいう「ものに狂うてみしょうぞ」という台詞は、日本の芸能史を貫いて泰平の今を撃つのである。
ふじた あさや
劇作家・演出家。『さんしょう太夫』の脚本で斎田喬戯曲賞受賞。
京楽座『しのだづま考』の作・演出で文化庁芸術祭賞受賞。
川崎市文化賞受賞。
日本演出者協会元理事長、日本劇団協議会理事、
日本劇作家協会監事、昭和音楽大学教授。 |
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中西の説経節は、時には重々しく淡々と二人の生をなぞらえる。繰り返される「えいさらさ」の地をはうような節回しは、切なく悲しい。時折、日常の語り言葉で、時代背景やストーリーについてユーモラスな解説が入ると、観客席から笑いがもれ、ほっとした雰囲気が漂う。
地獄から生き返るといった天衣無縫に加え、最大の魅力は「女が自分の意志を持つことさえ許されなかった時代に、自分で運命を選び、愛を貫いた照手姫」(ふじた)そのものだ。説経節は仏教の説教が民衆芸能化したものだが、中西の舞台は説教にひそむ人間の情念とダイナミズムをえぐり出した。
観客席を占めたのは八割余りが女性だったが、悲しい節回しにハンカチを取り出す人もいた。開館三周年になるエルガーラでは、さまざまな演劇が上演されているが、「芝居小屋のようなおひねりが飛ぶなんて初めてのこと」(エルガーラ)という。
中世、説経節は聞き手の情感に訴えることで仏教のリアリティーを演出していた。中西の舞台は、人々の奥深いところに眠る情感を、優しく懐かしく呼び覚ます節回しによって、観客との一体感をつむぎ出す。現代演劇は模索の時代に入っているともいわれるが、中西は確実に、方向性を持つ新しいリアリズムを構築しつつある。
工藤 正彦(ジャーナリスト) 2000年6月14日読売新聞より |
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