●をぐり考 八千代座公演 (2002年)朝日新聞掲載記事より

 えーいさらさ えいさらさ 一引き引いたは千僧供養 二引き引いたは万僧供養。
閻魔の慈悲で蘇ったものの無残に腐り果てて餓鬼阿弥(がきあみ)と化した小栗判官が、土車に乗せられて相模から熊野の湯の峯までの「蘇生」の長い道のりを心ある衆生に引かれてゆく……。
今月7、8日に熊本県山鹿市の八千代座で上演された中西和久のひとり芝居「をぐり考」。
説経節「小栗判官」を下敷きにしたこの芝居のこの場面を振り返り、「あの骨と皮ばかりの餓鬼阿弥の姿は、とても他人とは思えんかったですなぁ」と、公演打ち上げの席で笑いながら語ったのは、ハンセン病国立療養所菊池恵楓園入所者自治会のある男性だ。
 菊池恵楓園入所者自治会は今回の公演に共催という形で参加した。中西の言葉を借りれば、これまで「千客万来」の芝居小屋の「千」にも「万」にも入ることのなかった人々が、初めて芝居の興行側として名を連ねた。公演当日、八千代座の前に、主催の八千代座桟敷会の幟とともに恵楓園入所者自治会の幟がはためいた。恵楓園入所者たちが桟敷席で、ごく普通に、他の観客と共に中西が65の役を演じ分ける舞台に泣き、笑い、楽しんだ。
 この舞台で中西は、餓鬼阿弥が土車で引かれていった天王寺から熊野までの「小栗街道」にハンセン病の患者たちが運ばれていった道を重ね、餓鬼阿弥の姿に患者の姿を重ねる。他の場面では見る者の自由な想像力を許していた中西が、ここでは何を想像すべきか、はっきりと語る。そこには「をぐり考」という舞台を、近代化の過程で失われいった道ゆくものたちの物語の単なる再生の場にとどまらせまいとする中西の意思がある。彼は、道ゆく者たちとともに失われていった闇への想像力の蘇生≠闇から生まれ闇を照らし出す芸能の力の蘇生≠、闇の中を生きてきた者たちの社会的な蘇生≠もくろんでいるのだ。
 道とともに栄え、道とともにさびれ、今またその道の記憶とともに現代に蘇った伝統的芝居小屋、八千代座は、そのうってつけの場。さらに、ハンセン病の療養所という長らく閉ざされていた空間から社会的復活への道を歩み始めた人々が、芝居の面白さとそれを貫く「蘇生」への情熱に共感して公演にかかわったことは、「蘇生」というテーマをよりリアルで力強いものに変え、日常の中で息も絶え絶えの私たちの想像力を強烈に揺さぶった。  こうして、「をぐり考」八千代座公演は、私たちもまた、別の意味で、衆生にひかれて「蘇生」の道をゆく餓鬼阿弥に他ならなかったことをつくづくと思い知らせたのだ。
(撮影/永石秀彦)


●八千代座(舞台より桟敷をのぞむ)   撮影/永石秀彦