テアトロ2012年1月号
「戦争」と「移動」の中で


―演劇評論家 高橋豊―
 
 
京楽座の新作『草鞋をはいて』は、座・高円寺で上演された。福田善之作、福田・ふじたあさや演出で、二人の五十八年ぶりの協同作業。
 主宰する中西和久の一人芝居の趣があるが、随所で八人の俳優が背景となる人物や後見役を演じている。
 開幕前から中西が舞台に苔むした岩のように座っていて、観客へ話しかける形で物語に進む導入部分が巧み。

 幕末。江戸で鉄砲鍛冶の廉蔵は(中西)は、刃傷事件を起こし、蝦夷が島へと草鞋をはいた。この世の果てと思っていたのに、箱館湊は大賑わい。廉蔵はお京とめぐり合う。
 けれど、戊辰戦争が箱館まで及ぶ。江戸開城の際、海軍副総監として軍艦引渡しを拒否した榎本武揚が蝦夷に渡ってきたのだ。廉蔵は、世話になった旗本の指示で榎本軍の砲台に釘を打つ。その旗本は斬首、廉蔵は虜囚として護送中に脱走した。
 廉蔵が逃げ込んだお寺で医療活動に当たっていたのが、英国人医師クリスティ(中西)だ。お京がこの寺で亡くなったのを知った廉蔵がクリスティの補助役を務め出す。
 後半は、クリスティの方が中心となる。日本で敵味方関係なく治療したいと思っても、なざ、一人の捕虜にも出会えないのか、と彼は問う。西郷隆盛と気の合う彼は鹿児島に渡り、西南戦争に出合う。「外国人は脱出を」の指示の中で、日本人女性と子供をもうけた彼がどんな選択をしたのか。
 クリスティが初めに演奏し、廉蔵が感動する楽器にテナー・チューバがある。戦争の時代を生き抜いた男が、異文化の魅力に目覚める。作者の福田の戦後体験の一つが盛り込まれたような舞台で、心打たれた。


西日本新聞2011年12月8日号
近況往来―師匠が演じた『草鞋をはいて』を舞台化

 
 師匠である小沢昭一さんが45年前にラジオで演じた物語を、自らが主宰する京楽座の舞台公演『草鞋をはいて』として10月末、東京で上演した。演出は物語の作者である劇作家福田善之さんと、中西さんの代表作『しのだづま考』を手掛けてきたふじたあさやさん。

 「両巨頭からダメだしをされながら、演じる私も言いたいことは言う。2人の文体と私の文体、それぞれの宇宙は違う。ものすごいバトルがあったけど、お客さんも不思議な世界を味わったんじゃないかな」
 物語の舞台は幕末。花のお江戸の鉄砲鍛冶が蝦夷が島へと旅立った。吹きだまりのような函館港は大にぎわいだった―。『しのだづま考』『山椒大夫考』『をぐり考』という説経節3部作で知られるが、今作では女優8人に加え、風情ある影絵の演出も舞台を飾った。

 もともとの物語は鉄砲鍛冶の話だったが、舞台化に際して福田さんは大幅に加筆し、後半には英国人も登場する。「外国人を演じるなんて初めてでしたが、演劇はおもしろいもので『私はクリスティ』といえば成り立つ。作者も演者も悩みながらつくった初演です」

 今年は1月からひとり芝居で全国を回った。国内外で何百回と演じてきた『しのだづま考』だが、「お客さんの中にせりふが伝わっていく感じがよくわかった」とさらなる手応えと可能性を感じ、あらためて「もっと上手になりたい」と思えたという。福岡県大牟田市出身。



(塚崎謙太郎)