正直に言うが、「昭和の喜劇王」というサブタイトルのある『中西和久のエノケン』を観るまでは、中西和久という役者がよくわからなかった。
演出家志望で、小沢昭一の芸能座の門をたたき、その後役者に転じ、徒手空拳で京楽座をひっ下げての活動ぶりの、むろんすべてを観ているわけでなく、いやむしろほとんど傍観してたのだから、判断のつけようがないと言ってしまえばそれまでだが、なかなか実体のつかみにくい役者だと思った。ただ、けっして上手くはないのに、どこか惹かれる不思議な愛敬があって、きらいじゃなかった。念のためお断りしておくが、私は役者に限らず、およそ藝術の範疇においての評価の基準は、良い、悪い、あるいは上手、下手よりも、好きか嫌いかが先行していいと考える者だ。
どうもこれまで、中西和久に対する世間的な評価に煩わされていた気味があったような気がする。具体的に言うなら、『山椒大夫考』『をぐり考』『ピアノのはなし』『破戒』などの仕事を、「民衆の夢や希望に根差した社会的発言」だの、「伝統藝能の演技術を発展させた現代劇的批判精神」といった一面からとらえられた演技者という先入感をいだいていたのだ。
だから、『中西和久のエノケン』を観るにあたって、期待とともにいささか危惧の念をいだいたのも否めない。
言うところの十五年戦争が勃発から日中戦争に発展していこうとしていた時代、東京と言わずこの国を代表する歓楽街浅草を根城に、榎本健一=エノケンが寵児として君臨したのは、暗い冬の時代到来におののく、多くの庶民、学生、サラリーマンの熱狂的支持を受けたからにほかならない。こんな時代のヒーローを演ずるのに、中西和久に与えた世間的評価は強力な武器になる。
私の危惧したのは、その武器をたやすく使いこなすことによって、社会的発言者あるいは時代批判的演技術の持主としての榎本健一が、舞台に抽出されてしまうことだった。それはエノケンの一面でしかない。と同時に中西和久という役者の、ごくごく一面でしかないはずだ。
小男で、さして男前でなく、むしろひとから軽んじられていたエノケンが、ふとしたきっかけでヒーローとなって活躍する舞台や映画に、小市民とよばれた多くのひとたちが喝采を送ったのは、美丈夫とは言い難いエノケンの姿かたちが、自分たちのそれとさして変るところのないことに、大いに共感したからだ。それに加えて、たぐいまれなるエンターティナーとしての才覚への憧憬があった。これがエノケンの一面ではなく、本質であった。
愛敬こそあれ、さしたる男前ではなく、どちらかといえばこれも小柄の中西和久は、『中西和久のエノケン』で、そのエノケンの一面ではなく、本質に近づいて見せたと思う。かくして私の危惧は杞憂に終ったのだが、世間の評価をはるかにこえる武器である、「藝人の血」が、中西和久の舞台には脈動している。
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